夙川スカウトの道場 レックのこと
山 田 明 良
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LEC   野営地探しはリーダーにとっても団委員にとっても大変な仕事である。やっといい野営地をみつけても、借りる交渉、医者との連絡や安全、水のこと、食糧確保、そしてカブの舎営との関連とその交渉準備。その土地に合ったプログラムの策定やハイキングコースと4月ごろから、隊プログラムの他に下見に行ったり、交渉にいったりである。それに、今の世の中ではぜいたくなことではあるが、10日間の野営には炎天下を避けたいし、より原始的な野営をしたい。原始的な生活ができなくなればなるほど、子供達にそうした生活を体験させてやりたいし、スカウトの理想を追求したい。こうした希望と、現実に野営地探しに追われることを避けたい気持から固定的な野営地探しをすることになった。候補地として岐阜県と福井県の県境、兵庫県北部、南紀といろいろあり、土曜、日曜ごとに出かけた。

  そうしたある日、耳よりな話しが持ちあがった。それは私が学生時代、スキー場民宿でアルバイトをさせていただきアルプスへ行く時の足場としていた、信州白馬村細野の山中旅館の当主丸山 高氏が持ち山を提供し、カブの舎営に民宿を提供してあげようというのである。細野民宿でのアルバイトは私が卒業した後、大野 輝弥、山田 勝良、植田 和彦、田尻 一雄が跡を継いでいった。また、丸山 高氏の紹介でその近所の民宿宮ノ下旅館で、萱 仁文、奥田 実がアルバイトをさせてもらっていた。私と奥田 実君とがかけつけ、丸山 高氏の山を案内していただいた。八方尾根のすそに広がるすばらしい山林であった。しかしこの附近はスキー地として開発されつつあり、山林から一歩出ると俗世界そのものであった。何度も奥田君が信州へ足を運んでいるうちに、奥田君と同じ民宿でアルバイトをしていた小倉 久子さんが丸山 高氏より野営地探しの話を聞きつけ、私の村は過疎で村の人達は町へ出ていき家が空いていると連絡して下さった。"これだ"と早速、池原の地を訪ずれたのである。茅葺の大きな農家、丸山 高氏もこれなら大丈夫と賛成して下さった。池原の人達にとっても過疎地をなんとかしたいという気持があり、都会から人が来てくれれば活気づくというので、小倉さんの家族一同協力して下さることになった。これを手に入れようと、私と奥田君と毎週信州へ通い、また団委員会にその購入等で交渉をした。しかし、団委員会は無関心だし、資金の面でも相手にしてもらえなかった。父兄の中には山林を購入してもよいという申出をして下さる人もあり、所有者との交渉を何度もくり返したがこれは日の目をみなかった。この話はダメかと思っていたところ山田 奈良雄氏より条件付で資金提供の話があった。条件とは第1に、夙川スカウトに優先的に使用させること、第2に個人の出資となると誤解を招くので組織化して出資金を募ること、第3に維持管理はその組織で行い追加資金を人に頼らぬこと、というものであった。これらの条件のもとに"レック"(Let's Enjoy the Country)組織を作り出資をあおいだ。ご父兄、団委員からはごくわずかしか集まらず、ほとんどが私の山の仲間から集つめてレックを確保したのであった。その後改装のこと、野営地のこと、村の人達とのつきあいのこと等で45年46年の夏まで信州へ奥田君、石村さん共々足を運んだ。

  改装に関しては、宝塚の清荒神様にひとかたならぬお世話をいただいたのでした。60畳分のタタミ、カーペット、机や石油ストーブ、食器類をいただき、おまけに信州池原まで無料で運こんでいただいたのです。

  こうしてレックとその野営場を確保し、毎年毎年の野営地探しに終止符を打って、9年を経過したのである。

  レックの管理には小倉さん一家が献身的に奉仕していただき、特に冬仕度や雪おろしと苦労をおかけしているのです。また維持管理費も大変で毎年赤字を出している仕末です。

  山田 奈良雄氏が心配された条件の第2はすぐ現実のものとなった。幹部の所有するレックへ無理にスカウト達をつれていくとか、営業の加担にレックで舎営させるとかいった類の批判や不満がレックでの2年目を迎えた47年秋には表ざたとなり、リーダー対多くの父兄の対立といったなさけない事態になったのです。現在でもこの問題はくすぶっているようです。私はレックを維持管理していただけるならいつでも組織を解散して育成会なり団委員会へ委譲してもよいと思っている。また団委員の方々が野営地なり舎営地を探していただけるならいつでもそこへ替わってもよいと思う。いずれにしてもこれだけの好条件の揃った野営地で野営出来るのは幸せだと思う。

  3ヶ団が使用するには手狭となり、また野営地も開拓ができなくなってきた現在、団委員、ご父兄、リーダーの叡智を集めて新らしい野営地なり方法をみつけ出していかねばならないと思う。

  故郷を持たない多くの青少年に、"うさぎ追いしあの山"のイメージを与え、青年達に青春の情熱を昇華させてきた信州池原の地

緑したたる 池原の森に
    集いて極めん スカウトの道
行手ははるかに 荒れすさむとも
    つらぬきてこそ 道となりぬれ
  信州池原を思い出す度に、この歌を口ずさむ。当時のリーダー達が理想に燃え、竹細工の野営に反抗し、世間の風潮に流されまいとして築いた夙川スカウトの道場を、みんなで守り、改革し盛りたてていきたいものである。
夙川ボーイスカウト創立20周年記念誌 「燃えろスカウト」(1979) より

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